PR

豊臣兄弟40話ネタバレ!あさひの結婚と甚兵衛との離縁は史実?

記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

『豊臣兄弟!』40話では、あさひが家康に嫁ぐことになり、甚兵衛と離縁する展開に。

天下のためとはいえ、仲のいい夫婦を引き離すなんて、秀吉もあんまりじゃない!

ところが、あさひを冷たく突き放した甚兵衛の本心を知ると、もう胸がいっぱい…。

誰よりも妻を理解していたからこその決断だったんだね。

でも、あさひの政略結婚や甚兵衛との別れは、実際にもあったことなの?

今回は40話のあらすじを振り返りながら、史実との違いや、夫婦の別れに込められた思いを見ていきます。

スポンサーリンク

豊臣兄弟40話のあらすじ・ネタバレ

『豊臣兄弟!』40話では、秀吉と家康の和睦のため、あさひと甚兵衛の暮らしが一変。

夫婦が別れを選ぶまでの経緯を振り返ります。

数正の出奔で徳川が動揺!大地震で戦から和睦へ

石川数正が秀吉のもとへ去り、徳川の家臣たちに不安が広がります。

内情を知り尽くした重臣が敵に回ったことで、家康は戦略の見直しを迫られることに。

それでも家康は対決する姿勢を崩さず、秀吉も討伐へ動き出します。

両者の衝突が迫る中、近畿から中部にかけて大地震が発生。

大坂も浜松も被害を受け、戦どころではなくなってしまいます。

領内の立て直しが必要になった両者は、戦を避けるための交渉へ。

しかし、その和睦があさひと甚兵衛の運命を変えていきます。

家康が秀吉の身内との結婚を要求!あさひが嫁ぐことに

和睦の条件として、家康は秀吉の身内を正室に迎えたいと申し出ます。

その狙いは、秀吉が受け入れにくい要求を突きつけ、戦へ持ち込むことでした。

嫁がせられるのは、すでに甚兵衛と暮らす妹のあさひ。

秀吉は甚兵衛に但馬国を与える代わりに、夫婦の縁を切るよう求めます。

あさひには、豊臣家のために果たせる役目だと頭を下げるものの、同意は得られません。

説得で解決できないと見るや、秀吉は甚兵衛に離縁と転封を命令。

従わなければ処罰すると告げ、夫婦に別れを迫ります。

甚兵衛があさひと逃亡?自ら密告した本当の理由

夜陰に紛れて屋敷を出ようとした甚兵衛とあさひは、知らせを受けた秀長に阻まれます。

甚兵衛はあさひが裏切ったかのように責め立て、自分から離縁を言い渡しました。

しかし、逃亡を知らせたのは甚兵衛本人。

秀長に見抜かれると、妻への思いを打ち明けます。

あさひは、家族の役に立てないことを気に病んでいました。

夫への遠慮で縁談を受けられない妻のため、甚兵衛は嫌われ役を引き受けたのです。

あさひに天下を支える役目を託してほしいと願い、自身は但馬国を受け取らず、出家する道を選びます。

あさひが甚兵衛に感謝!家康のもとへ嫁ぐ決意

甚兵衛は秀吉を怒らせて追放されたと聞かされたあさひ。

秀長に連れられて庭へ出ると、木陰に夫がいることに気づきます。

あさひは、どこかで甚兵衛に会ったら伝えてほしいという形で、感謝を口にしました。

自分の気持ちを理解し、新たな一歩を踏み出せるよう送り出してくれた夫。

その思いを、あさひも受け止めていたのです。

そして、自分だからこそ果たせる役目に力を尽くすと決意。

甚兵衛は豊臣家を去り、あさひは家康の妻として生きる道へ進みます。

スポンサーリンク

豊臣兄弟40話と史実の違い

『豊臣兄弟!』40話で描かれた、あさひの政略結婚と甚兵衛との別れ。

あの切ないやり取りも実際にあったの?史実に残る話と比べていきます。

あさひが家康の妻になったのは史実!結婚した時期は?

あさひが家康の正室になったのは史実で、時期は天正14年(1586年)です。

秀吉と家康の関係を結び直す、政治的な意味を持つ結婚でした。

いやあ、兄と対立する相手のところへ嫁ぐなんて、あさひも落ち着かないよね。

でもあさひは兄上の為に覚悟をもっていったんだね。

胸が痛くなっちゃう。

また、側室ではなく、亡くなった築山殿に続く正室として徳川家に迎えられています。

秀吉の妹が家康の妻になることで、両家には親族としてのつながりができたのです。

戦を避けるためとはいえ、結婚に背負わせるものが大きすぎる!

あさひ本人の気持ちはどうだったのか、なんか切ないよなぁ。

あさひの前夫は甚兵衛?史料によって異なる名前

あさひの前夫は、史料によって「副田甚兵衛」「副田吉成」「佐治日向守」など、異なる名前で伝わっています。

ドラマの甚兵衛が、史実でも確実に夫だったとは言い切れません。

ええっ、あれほど印象的な夫なのに、名前も一つに定まらないの?

ちょっと意外。

『武家事紀』には副田甚兵衛、『尾張志』には副田与左衛門、あるいは甚兵衛吉成とする記述があります。

甚兵衛と吉成は、同じ人物の通称と実名として扱われる場合もあるみたいです。

こんなにいろんな名前で伝わっているなんて…。

どれが本当なんだろう。

ドラマでは、その人物像がはっきりしない部分に、妻思いの甚兵衛の姿を重ねているように感じます。

秀吉があさひを離縁させた?夫との別れには諸説

あさひは家康との政略結婚のため、秀吉によって前夫と離縁させられたと伝わります。

ただし、離縁の時期や詳しい経緯には諸説あり、ドラマ通りだったとは確認できません。

天下のために妹夫婦を別れさせるなんて、やっぱり非情だよぉ。

甚兵衛との暮らしを見てきた分、なんかさぁ…余計につらくなっちゃう。

一方、家康との縁談が持ち上がる以前に、すでに離縁していたとする見方もあります。

甚兵衛が自ら逃亡を密告し、妻のために身を引いたという筋書きも、史実として裏付けられているわけではありません。

ドラマで描かれたあの切ない別れちょっと涙…涙。

それでも、あさひの背中を押す甚兵衛の優しさには、ぐっと胸をつかまれ、また涙…。

家康から結婚を求めたのは史実?戦を狙った要求だった?

あさひとの結婚は秀吉が持ちかけたという説明が知られていますが、家康が希望したとする見方もあります。

秀吉の書状には、家康側の要望だったとする記述が残っています。

ええっ、家康からの申し出というドラマの展開にも根拠があるんだね!

ただ、わざと難題を出したのかは気になるところ。

史実では、家康が秀吉の身内となり、豊臣政権で有利な立場を得ようとした可能性が指摘されています。

戦に持ち込むための要求だったとは断定できません。

ドラマの家康は、なかなか食えない相手だよね。

でも史実では、戦うためではなく、生き残るための縁談だったのかもしれません。

大地震で秀吉が家康討伐を断念したのは史実?

天正地震が、秀吉の家康討伐を中止する大きな要因となったのは史実です。

天正13年11月29日(西暦1586年1月18日)、広い範囲を激しい揺れが襲いました。

いよいよ戦というところで大地震とは…。

家康にとっては危機を逃れる転機だったのでは…。

秀吉側では長浜城や大垣城などが被災し、山内一豊の娘も亡くなりました。

軍事拠点にも被害が出たことで、予定していた討伐を進めにくくなったのです。

ドラマでは両者が和睦へ動くきっかけだったけれど、史実でも政治を動かすほどの災害だったんだね。

天下人を目指す秀吉も、自然の力には抗えなかったのだと感じます。

スポンサーリンク

豊臣兄弟40話の見どころ|甚兵衛の優しさとあさひの「ありがとう」

『豊臣兄弟!』40話の見どころは、あさひの本心を誰よりも分かっていた甚兵衛の優しさと、それに応えた「ありがとう」だよね。

最初は、逃げようと誘っておいて、あさひを裏切り者扱いするなんてどういうこと⁉と、びっくりしちゃった。

でも、自分が一緒にいる限り、あさひは縁談を受けられないと分かっていたんだね。

わざと嫌われようとするなんて、もう切なすぎるよ。

しかも甚兵衛は、但馬国をもらうことも断っている。

出世や領地のために妻と別れたのではないことが、ここではっきり伝わってきました。

そして、木陰にいる甚兵衛に気づきながら、伝言の形で感謝を届けるあさひ。

責めるでも、引き留めるでもなく、夫が押してくれた背中を自分の意志で前へ進めたんだね。

別れることになっても、互いを理解する夫婦の絆は残っている。

二人の「ありがとう」と「送り出す優しさ」が重なって、ぐっと胸に迫る場面でした。

スポンサーリンク

豊臣兄弟40話まとめ

『豊臣兄弟!』40話は、あさひのために身を引いた甚兵衛の優しさが、胸に染みる回だったね。

あの「ありがとう」には、夫の本心がちゃんと届いていたんだと感じました。

あさひが家康の妻になったのは史実ですが、前夫との離縁の経緯には諸説あります。

ドラマで描かれた夫婦の別れを思うと、天下へ進む秀吉の陰で人生を変えた人たちにも、目を向けたくなります。

【豊臣兄弟全話関連記事はこちら】

『豊臣兄弟!』は各話ごとに物語が大きく動いていきます。

他の回の展開も気になる方は、全話あらすじと考察・史実とドラマの違いをまとめた記事もあわせてご覧ください。

👉豊臣兄弟が面白い!脚本と史実の違いを解説【全話ネタバレあり】

コメント

タイトルとURLをコピーしました