豊臣兄弟36話ネタバレあらすじ
秀長が四国攻めの総大将に!1000艘の船を準備
秀吉と信雄の和睦によって、小牧・長久手の戦いは収束へ。
一方、四国では長宗我部元親が勢力を広げていました。
秀吉から四国攻めの総大将を任された秀長は、1000艘の船を準備。
圧倒的な戦力を見せ、元親の戦意を失わせようと考えます。
秀吉が近衛龍山を説得!関白への道を開く
関白を目指す秀吉は、近衛家当主・近衛龍山を訪ねます。
公家への贈り物や御所の修復を続けてきた秀吉は、天皇からの礼状も見せ、朝廷を支えているのは自分だと主張。
すべての民の上に立ちたいという思いを語り、龍山の協力を取りつけました。
秀長軍が三方から進撃!元親は白地城に籠城
秀長軍は阿波・伊予・讃岐の三方向から攻め込み、元親は白地城に籠城します。
秀長は一宮城に残った谷忠澄に仲介を頼み、土佐一国を認める代わりに、ほかの領地を明け渡すよう要求。
しかし、四国一統を目指してきた元親は受け入れようとしません。
蜂須賀正勝が負傷しながら秀吉を説得
降伏しない元親に対し、秀吉は自ら四国へ出陣しようとします。
もう少し時間があれば説得できると考えた秀長のため、蜂須賀正勝は負傷したまま大坂へ。
秀吉に「あの頃と同じように小一郎を分かっているか」と問いかけ、出陣を3日間待つ約束を取りつけます。
姫若子の着物に元親が心を動かされ降伏
秀長は「姫若子」と呼ばれていた頃の女物の着物を元親へ届けます。
秀長の思いを知った元親は、土佐一国を残す条件を受け入れて降伏。
秀吉の臣下となり、天下一統を手伝うと誓いました。こうして四国攻めは決着し、秀吉も天正13年に関白となります。
豊臣兄弟36話|姫若子の着物は史実?
元親が「姫若子」と呼ばれた理由
長宗我部元親は幼い頃、色白でおとなしく、物静かだったことから「姫若子」と呼ばれたと伝わっています。
周囲からは頼りなく見られていたようですが、22歳の初陣で敵陣へ果敢に攻め込み、評価が一変。
「姫若子」から「鬼若子」と呼ばれる武将へ成長しました。
弱いと決めつけた人たちを実力で見返したのだから、なんとも痛快な話ですよね。
ただし、これは後世に編さんされた『土佐物語』などに残る逸話で、すべてが史実とは断定できません。
秀長が女物の着物を送った記録はある?
ドラマでは、「姫若子」時代の着物を見た元親が降伏を決めました。
「そんな昔の着物が残っていたの?本当に秀長が送った?」と気になりますよね。
調べてみましたが、秀長が女物の着物を送ったという記録は確認できませんでした。どうやらドラマ独自の演出のようです。
でも、力で従わせるのではなく、元親の心にそっと訴えかけるところが秀長らしい。
あの着物には「もう意地を張らなくていい。戦ではなく民を守る道を選んでほしい」という思いが込められていたのかもね。
豊臣兄弟36話|長宗我部元親が降伏した理由
『豊臣兄弟!』36話で、長宗我部元親はなぜ秀長の条件を受け入れたのでしょうか。史実をもとに見ていきましょう。
秀長率いる大軍に勝ち目がなかった
元親は長年かけて四国をほぼ手中に収め「さあ、これから」というところでした。
簡単に領地を手放したくないのは当然で、そりゃあ意地にもなるよね。
ところが秀長軍は、阿波・讃岐・伊予の三方向から押し寄せ、海にも大量の船を並べました。これでは、どう考えても勝ち目がありません。
それでも最後まで戦う道はあったはず。
でも元親は、自分の誇りのために家臣や領民の命まで失うことは選ばなかった。
土佐を守るために頭を下げた元親は、きっと心の美しい人だったのかもね。
谷忠澄が降伏を勧めたのは史実?
谷忠澄が元親に降伏を勧めた話は、史実にも残っています。
忠澄は秀長との交渉を任され、土佐一国を残すという条件を持ち帰りました。
しかし、元親や家臣たちは徹底抗戦を主張したんだって。
主君に「負けを認めましょう」なんて、なかなか言えないよね。
それでも忠澄は、豊臣軍との戦力差を見れば勝ち目はないと説得しました。
裏切り者と思われる危険を冒してまで伝えたのは、長宗我部家を守りたかったからかな。
こういう家臣がそばにいた元親は、幸せな主君だったのかもね。
土佐一国を認める条件で秀吉に従った
元親は阿波・讃岐・伊予を手放す代わりに、土佐一国を認められました。
長年かけて広げた領地を返すのだから、悔しくないはずはない。
それでも四国一統の夢まで捨てたわけではなかったのかも。
自分の力だけにこだわらず、秀吉の天下一統を手伝えば、争いのない四国につながっていく。
そう考えたからこそ、臣下になると頭を下げたのでしょう。
元親にとって降伏は負けではなく、四国一統へ進む新しい道だったのかもね。
豊臣兄弟36話と史実の違い
『豊臣兄弟!』36話で描かれた秀長の四国攻めや秀吉の関白就任は、史実とどこが違うのでしょうか。ドラマ独自の展開と比べていきましょう。
秀長が四国攻めの総大将を務めたのは史実
秀長が四国攻めの総大将を務めたのは史実です。
天正13年(1585年)、秀吉は10万を超えるともいわれる大軍の指揮を秀長に任せました。
これほどの兵を預けるなんて、かなり信頼していたんだよね。
秀長は阿波・讃岐・伊予の三方向から進み、長宗我部軍を追い詰めていきます。
兄を支える穏やかな弟に見えるけれど、実は大軍を動かせる武将。
そりゃあ秀吉も、安心して総大将を任せられたわけだよね。
蜂須賀正勝が秀吉の出陣を止めたのは本当?
蜂須賀正勝が負傷したまま大坂へ戻り、秀吉の出陣を止めたという記録は確認できませんでした。
「昔と同じように小一郎を分かっているか」と問いかけた場面も、ドラマオリジナルの可能性が高そう。
でも、昔から兄弟を知る正勝に言われたら、秀吉も無視できないよね。
関白ばかりに目が向いていた秀吉を昔の藤吉郎に戻し、兄弟の間をつなぐ。
史実ではなくても、正勝らしさが詰まった場面だったよね。
秀吉が近衛龍山の猶子となったのは史実?
史実では、秀吉は近衛龍山こと近衛前久の「猶子」となり、藤原氏の一員として関白に就いたとされています。
猶子とは、家を継ぐ養子ではなく、形式上の親子関係を結ぶもの。
当時、関白は藤原氏の流れをくむ五摂家から選ばれていたため、秀吉には家柄が足りませんでした。
それなら、家柄を持つ人と親子の縁を結べばいい。いやいや、そこまで考えるとは驚きますよね。
ただし、本当に猶子となったのかについては異なる見方もあります。
関白と将軍の違い|秀吉はなぜ関白を選んだ?
関白と将軍、どちらも偉いのは分かるけれど、何が違うの?と思いますよね。
簡単にいえば、将軍は武士をまとめる立場。関白は天皇を補佐し、朝廷の政治を動かす立場です。
ドラマの秀吉は、武士だけでなく、農民や公家を含めたすべての民の上に立ちたいと考えました。
だから将軍ではなく、関白を選んだのでしょう。
公家へ贈り物をして、御所まで修復する。そこまでやる?と思うけれど、そこまでやるのが秀吉なんだよね。

コメント