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豊臣兄弟35話|三好信吉と織田信雄は似てる?ふたりは責任逃れ?

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『豊臣兄弟!』35話では、小牧・長久手の戦いが始まり、秀吉軍は徳川軍の奇襲によって敗北します。

敗戦の責任を他者へ向ける三好信吉と、家臣を手にかけた責任を家康に向ける織田信雄。

この記事では、35話のネタバレあらすじと二人の共通点や見どころを紹介します。

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豊臣兄弟35話ネタバレあらすじ

『豊臣兄弟!』35話では、秀吉軍と徳川軍が激突する小牧・長久手の戦いから、信雄との和睦による終結までが描かれました。

秀長誕生へとつながる物語を、順番に振り返ります。

小牧山城を徳川軍が占拠!三好信吉が大将に

天正12年、織田信雄が徳川家康の支援を受けて兵を挙げ、秀吉も小牧山城を奪うために軍を進めます。

しかし、城にはすでに徳川軍が入り、籠城に備えていました。

正面から攻め落とすのが難しい中、池田恒興は家康の本拠地である岡崎を狙い、徳川軍を城外へ誘い出す作戦を提案します。

その別働隊を率いる大将に自ら名乗り出たのが、三好信吉でした。

武功を立てて秀吉に認められたい信吉の意欲を買い、秀吉は突然の大役を任せます。

長久手で徳川軍が奇襲!池田恒興親子が討死

池田恒興らは夜の闇に紛れて岡崎へ向かいますが、その動きは家康に見抜かれていました。

徳川軍は密かに堀を築いて迎え撃つ準備を整え、長久手で池田軍を急襲します。

不意を突かれた羽柴方は混乱に陥り、恒興と息子の元助は激しい戦いの末に討死しました。

さらに、徳川軍は油断していた三好信吉の部隊にも襲いかかります。

信吉軍は態勢を立て直す間もなく崩れ、大将として初陣に臨んだ信吉は、武功を立てるどころか大敗を喫してしまいました。

三好信吉が敗戦の責任を他者へ!小一郎が諭す

敗走して戻った三好信吉は秀吉に謝罪し、次の戦で汚名を返すと訴えます。

しかし秀吉は、勝ち目がないと分かった時点で退かなかった判断を厳しく責めました。

落ち込む信吉に小一郎が声をかけると、信吉は徳川軍が小牧山城を出たという知らせが届かなかったため、自分だけが責められるのはおかしいと本音を漏らします。

小一郎は誰かに責任を押しつけるのではなく、今回は徳川方の策が上回ったのだと説明。

信吉自身も責める必要はないと諭し、敗北を受け止めさせました。

戦の長期化で民が疲弊!秀吉が信雄との和睦へ

小牧・長久手で決着がつかないまま戦火は各地へ広がり、長期化によって苦しむ民が増えていきます。

秀吉は民から怒りをぶつけられ、投げられた石で負傷してしまいました。

その姿を見た小一郎は、これ以上犠牲を出さないためにも信雄との和睦を進言します。

そこへ見舞いに訪れた丹羽長秀から、信雄と家康の関係がうまくいっていないという情報がもたらされました。

小一郎は二人の亀裂を好機と捉え、信雄がいる伊勢の長島城を攻め、戦を終わらせるための和睦交渉へ動きます。

信雄の発言に小一郎が激怒!秀長誕生へ

和睦の席で信雄は、家臣を手にかけた責任を家康に向けたうえ、父・信長の最期まで見下すように語ります。

信長を敬う小一郎は怒りを抑えきれず、起請文を握りつぶして和睦を拒絶。

秀吉が弟の無礼を詫び、信雄との和睦を受け入れたことで、8か月に及ぶ戦は終結しました。

その後、小一郎は丹羽長秀から、秀吉を信長以上の武将にするよう託されます。

その言葉を胸に、信長を超える秀吉という思いを込め、自ら「秀長」と改名。

羽柴美濃守秀長が誕生しました。

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豊臣兄弟35話|三好信吉と織田信雄は似ている?

『豊臣兄弟!』35話では、三好信吉と織田信雄が共に、自らの失敗の責任を他者へ向ける姿を見せました。

二人に共通する弱さと、小一郎の対応が大きく異なった理由を考察します。

三好信吉はなぜ敗戦を他者の責任にしたのか

三好信吉が敗戦の責任を他者へ向けたのは、武功を立てて秀吉に認められたいという思いが強すぎたからではないでしょうか。

突然、大軍を率いる大将に選ばれた信吉は、自分こそ期待に応えられると気持ちが高ぶっていました。

それだけに、徳川軍の奇襲で部隊を崩された現実を、すぐには受け入れられなかったのでしょう。

信吉にとって、敗北を認めることは自分に大将の器がなかったと認めることでもあります。

その怖さから、徳川軍が城を出たという知らせを見過ごした者たちに原因を求めました。

ただ、秀吉に叱られた後も汚名返上を口にしていることから、責任感がないというより、失敗と向き合うだけの精神的な強さがまだ備わっていなかったように見えます。

小一郎の言葉は、そんな信吉に敗北を受け止めて成長する機会を与えたのだと思います。

織田信雄はなぜ織田家に生まれたことを恨んだのか

織田信雄が織田家に生まれたことを恨んだのは、信長の息子として常に父と比べられ、自分の意思とは関係なく天下争いに巻き込まれてきたと感じていたからではないでしょうか。

信雄にとって織田家の名は誇りである一方、周囲から利用され、家臣の命まで奪うことになった重荷でもあったのでしょう。

しかし、信雄は織田家の立場を利用して家康の後ろ盾を得ながら、状況が悪くなると自分の生まれや父の存在に原因を求めています。

信長の最期を否定するような言葉も、父と同じ道を歩みたくないという恐れの裏返しに見えました。

織田家を背負う覚悟を持てないまま、信長の息子という立場からも逃れられない。

その苦しさが、父や自らの生まれを恨む発言につながったのだと思います。

三好信吉と織田信雄の共通点|立場に覚悟が追いついていない

三好信吉と織田信雄に共通するのは、人の上に立つ立場を与えられながら、その責任を引き受ける覚悟が追いついていない点です。

信吉は秀吉との関係から大将を任され、信雄は信長の息子として織田家の当主になりました。

どちらも、自らの実力だけで現在の地位をつかんだわけではありません。

そのため、思いどおりの結果が出なかったとき、自分の判断を振り返るよりも、周囲や生まれた環境に原因を求めました。

失敗の経験が少なく、傷ついた自尊心を守ろうとする姿は、現代の若者にも通じる部分があるのかもしれません。

ただし、本当に問われているのは世代ではなく、大きな立場を任された者が結果をどう受け止めるかです。

二人には、人を率いる立場に必要な覚悟がまだ備わっていなかったように見えました。

小一郎が信吉を諭し、信雄には激怒した理由

小一郎が三好信吉を穏やかに諭したのは、信吉に未熟さはあっても、まだ敗北から学び直せると考えたからでしょう。

信吉は一度は周囲に責任を向けましたが、小一郎から徳川方の策が上回ったのだと説明されると、その言葉を受け入れました。

若い信吉を責め続けるより、次につながる考え方を教えようとしたのだと思います。

一方、信雄は家臣を手にかけたことや織田家に生まれた苦しみを語るだけでなく、父・信長の最期まで惨めだったと切り捨てました。

小一郎にとって信長は、身分の低かった兄弟を引き上げ、進む道を与えてくれた恩人です。

さらに、信長や織田家のために多くの者が命を落とす姿も見てきました。

それらの思いを背負おうとせず、父を見下す信雄の態度だけは許せなかったのでしょう。

二人への対応の違いは、失敗の大きさではなく、そこから学ぶ姿勢があるかどうかだったと思います。

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豊臣兄弟35話の見どころ|小一郎から秀長へ

『豊臣兄弟!』35話の見どころは、小一郎が「秀長」という名を自ら選び、兄と共に新たな道を歩み始めた場面です。

丹羽長秀は、秀吉が信長を超える武将になる可能性を感じ、その実現には小一郎の力が必要だと背中を押しました。

小一郎が秀長と名乗ったのは、単なる出世による改名ではありません。

「信長を超える秀吉」という願いと、それを自分が支えるという覚悟が込められていました。

小牧・長久手の戦いでは、秀吉の判断を支えながら信雄との和睦を進め、戦を終わらせる役割も果たしています。

兄の命令に従うだけだった小一郎が、自ら兄を天下人にすると決意した瞬間でもありました。

羽柴美濃守秀長の誕生によって、物語はいよいよ豊臣兄弟が天下へ進む新たな段階に入ったように感じます。

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豊臣兄弟35話まとめ

『豊臣兄弟!』35話では、三好信吉と織田信雄の責任を背負えない未熟さが描かれました。

一方、小一郎は戦を終わらせ、兄を信長以上の武将にする覚悟を胸に「秀長」へ。

豊臣兄弟は天下への新たな一歩を踏み出します。

【豊臣兄弟全話関連記事はこちら】

『豊臣兄弟!』は各話ごとに物語が大きく動いていきます。

他の回の展開も気になる方は、全話あらすじと考察・史実とドラマの違いをまとめた記事もあわせてご覧ください。

👉豊臣兄弟が面白い!脚本と史実の違いを解説【全話ネタバレあり】

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