僕たちはまだその星の校則を知らない第2話ネタバレ考察|いじめと失恋の境界線

失恋は“いじめ”にあたるのか──。

『僕たちはまだその星の校則を知らない』(通称:僕星)の第2話では、そんな一見すると極端にも思える問いが、スクールロイヤー・白鳥健治(磯村勇斗)のもとに持ち込まれます。

感情のすれ違い、プライドの傷、思春期の揺らぎ──これらが交錯する教室で起きたのは、ただの恋の終わりか、それとも“心の暴力”だったのか。

スクールロイヤーとして「いじめ防止対策推進法」に則り、生徒を“守る”ことに徹する健治と、それに違和感を覚える教師・幸田珠々(堀田真由)。

それぞれの視点がぶつかる中で、加害者・被害者という単純な構図には収まりきらない現実が見えてきます。

第2話は、法律と感情、論理と現実、その間にある“答えのないグレーゾーン”に踏み込んだ内容でした。

本記事では、健治の判断や省吾の苦しみ、そして“失恋=いじめ?”というテーマをめぐって揺れる登場人物たちの心情を掘り下げながら、第2話の展開を詳しく振り返り、考察していきます。

物語の中で問われるのは、“誰かの苦しみ”をどう受け止めるべきかということ。

あなたなら、どう向き合いますか?

登場人物たちの迷いや痛みは、きっと私たち自身の心にも重なるはず。ぜひ一緒に考えてみましょう。

白鳥が見た“学校”という場所|嫌いだったはずの場所に芽生えた感情

白鳥健治にとって「学校」は、決して良い記憶のある場所ではなかった。

いじめを受け、父親にも見捨てられるような過去があったと示唆されている。

スクールロイヤーとして学校に関わることは、自身の傷と向き合うことでもあったのだろう。

そんな彼の心を動かしたのが、「学校が好き」と話す生徒の存在だった。

何気ない一言。しかし、白鳥にとってはその言葉が深く残った。

自分が嫌いだった場所を「好き」と言える人がいる。

まるで、暗闇のなかで灯がともるような瞬間だったのかもしれない。

学校には理不尽さや閉塞感もある。

それでも、そこで前向きに生きる生徒たちの姿が、白鳥に小さな変化をもたらしていく。

彼はまだ戸惑いながらも、子どもたちの姿から確かに何かを感じ取っていた。

第2話では、そんな彼の姿勢が言動にもにじみ出る。

冷静で淡々とした印象だった彼が、生徒を守ろうと声を上げ、行動しようとする。

過去に傷ついた経験があるからこそ、子どもたちの痛みに誰よりも敏感になれるのだ。

嫌いだった学校という場所に、わずかな温かさを感じ始めた白鳥。

その感情の芽生えが、今後の彼の選択にどう影響するのか。

スクールロイヤーとしてだけでなく、一人の人間としての成長にも注目したい。

僕星1話ネタバレ考察はこちら ⇩ ⇩ ⇩ ⇩

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失恋はいじめなのか?|藤村省吾が巻き起こした波紋

ディベート授業を通じて打ち解けはじめたクラスに、突然の事件が起こる。

藤村省吾(日向亘)が教室で井上孝也に掴みかかるという騒動を起こしたのだ。

理由は、藤村が交際していた堀麻里佳に別れを告げられ、その後すぐに井上と交際を始めたという展開だった。

失恋のショックに加え、堀 麻里佳(菊地姫奈)が井上孝也(山田健人)をかばったことで、藤村は多くのクラスメイトの前で恥をかいたと感じ「これはいじめだ」と訴えて不登校になってしまう。

自分が笑い者になったという屈辱が、彼の心を深く傷つけていた。

白鳥健治は藤村の訴えに応じ、“被害者”と認定。堀と井上を“加害者”とし、スクールロイヤーとして調査の必要性を訴えた。

確かに、いじめ防止対策推進法では“本人がいじめと感じた場合”には調査が求められるとされている。

しかし周囲の教員や生徒たちは違和感を覚える。

「ただの恋愛トラブルを、いじめと呼んでよいのか?」

「悪意がなかったのに加害者扱いされるのか?」という戸惑いは当然だ。

今回の件は、現代における“いじめの定義”がいかに曖昧で、感情と制度の間に大きなギャップがあるかを浮き彫りにしている。

藤村の訴えは軽視できないが、だからこそ慎重な対応が求められます。

恋愛という個人的な感情が、集団の中でどう扱われるべきか――

これは現代社会にも通じる難題ですね。

加害者”と呼ばれた堀と井上|珠々が涙ながらに語った本音

白鳥は、藤村省吾の苦しみを真正面から受け止め、「いじめ」として対応する決断を下した。

一方で、その結果として“加害者”とされてしまった堀麻里佳と井上孝也には、明確な悪意や加害の意図はなかった。

堀はただ恋愛の気持ちが変わり、新たに井上と関係を築いただけ。

それが、他者を傷つける「行為」として扱われたことで、クラスにも微妙な空気が流れ始める。

そんな中、教師の珠々が白鳥に対して涙ながらに語ったのは、自らの過去の体験だった。

「私は昔、好きだった人に突然フラれました。でも、その人は私をいじめようと思ってそうしたわけじゃない。ただ、生きていただけなんです」

――それは、珠々自身の失恋の記憶と藤村の苦しみを重ね合わせた、痛みのこもった訴えだった。

珠々は、生徒たちの感情に寄り添おうと必死。

彼女にとって、“被害者”と“加害者”という明確なラベルでは、子どもたちの心の複雑さはとても語りきれない。

だからこそ「ただ生きているだけで誰かを傷つけてしまうこともある」という現実に、胸を締めつけられている。

白鳥が法的な視点から正義を追求するのに対し、珠々は感情の機微を大切にし、ひとりの教師として悩み苦しんでいる。

その対比が、このドラマのテーマをより深く浮き彫りにしている。

「失恋はいじめなのか?」という問いの中で、答えのない感情と制度のギャップが、珠々の涙と共に視聴者の胸にも静かに響いた。

健治の後悔と省吾の選択|正義とは誰のためのものか

「いじめから生徒を守る」――その思いで行動してきた白鳥健治。

しかし、気づけば藤村省吾だけでなく、堀麻里佳や井上孝也までもが心を傷つけ、学校生活に影を落としてしまっていた。

堀が白鳥に突き出したのは、「ビッチ、いじめ乙!」と書かれた紙。

それは堀の机に貼られていたものだ。健治の“正義”が、堀を「加害者」と扱ったことで、彼女がいじめの対象になってしまった。

堀は涙ながらに訴える。「井上君は悪くない」

ただ私は、一緒にいて心地よい恋をしただけなのに、どうしてこんな目にあうの?」
その言葉に、健治はようやく自分が振りかざした“正しさ”が、新たな苦しみを生んでいたことに気づく。

守りたいという思いが、逆に人を追い詰めてしまうこともあるのだ。

その後、健治は副校長と珠々と共に藤村の自宅を訪れるが、省吾は部屋から出てこようとしない。

健治は扉越しに、自身もかつて不登校だった過去を語り、心からの言葉を届ける。

「君にとって幸いはわからない、自分で決めていいんだ」

最終的に省吾が選んだのは、「失恋は、いじめではない」と認めることだった。

堀との思い出を、いじめの記憶にしたくなかったのだ。

彼の選択が、静かに前を向く第一歩になった。

その一歩を支えたのは、善意だけでは片づけられない、痛みと対話の積み重ねだった。

第2話の考察と今後への注目|“心の痛み”とどう向き合うか

「失恋は、いじめか?」という問いは、法と心、客観と主観のはざまで揺れ動くテーマでした。

藤村省吾が受けた心の痛みは間違いなく“本物”であり、その苦しみが軽視されるべきでないことは明白。

一方で、堀や井上に加害の意図があったとは言い切れない。その狭間で揺れる子どもたちの繊細な感情に、どう向き合えばよいのか。

白鳥健治のように、法に基づき明確な線引きを求める立場も大切だが、それだけでは救えないものもある。

珠々のように、過去の経験と重ねながら感情に寄り添う姿勢もまた、現場には不可欠だ。

今回のエピソードは、スクールロイヤーの存在意義とその限界を問い直すものでもあった。

健治自身もまた「正義とは何か」「守るべきものは何か」という問いに直面することになる。

そのプロセスのなかで、彼が生徒たちとの関係性をどう築いていくのか。

そして自身の心の傷とどう向き合っていくのかも、物語の見どころとなりそうだ。

今後のエピソードでは、「いじめ」の定義や「被害者」「加害者」というラベリングの是非、さらには「学校という場所の多面性」もより深く描かれていくだろう。

痛みを軽視せず、誰かを過剰に裁くこともなく、どうバランスを取るか──

その難しさに、現代の教育現場の苦悩がにじんでいる。

スクールロイヤーという立場を通して、“心の痛み”とどう向き合うか。

それは今を生きる大人たちにも問われる、大きなテーマなのかもしれない。

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